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ノブレス・オブリージュは今日的な意味を持ち得るか

21世紀に生きる多くの人たちは漠然とした不安に苛まれている。その理由として家族の解体やネットの蔓延などさまざまな要因をあげることができるだろう。しかし本当の問題は、それらの外部的要因が我々一人ひとりの心に影を落としていった結果、精神的な軸となるものが失われてきたことにあるのではないだろうか。失われた精神性を再発見するひとつのよすがとして、あるひとつの言葉をキーワードとして考えてみたい。それは、「ノブレス・オブリージュ」である。

語源はフランス語

 社会人としてある程度のキャリアを持った人ならば、「ノブレス・オブリージュ」という言葉をどこかで耳にしたことがあるかもしれない。近年では人気アニメ『東のエデン』でこの言葉が象徴的に使われているし、メディアでとりあげられる機会も増えてきたものの、しかしまだまだ、多くの人たちにとってあまり親しみのある言葉とは言えないだろう。

 一般的に「ノブレス・オブリージュ」とは貴族、あるいは高貴な者の義務と解釈されている。社会的地位の高い者はそれにふさわしい義務を負ってしかるべきであり、彼らは一般の人よりも多くの規範に従うなどの責任を担う。この言葉の由来について、「日本の美意識と名誉概念―ノブレス・オブリージュの文化社会学」という研究報告がある京都橘大学現代ビジネス学部教授の大野道邦さんは次のように説明する。

 「ノブレス・オブリージュは、レヴィ公爵という人物による『格言と省察』(1808)に出てくるといわれている格言です。世の人は、高貴な家柄の出身者に対して、先祖の功績をたたえようとするとき、子孫の中にもその痕跡を見出せると考えています。"位高ければ徳高かるべし"というフランス語(Noblesse oblige)の格言です。つまり、"貴族身分は自らの地位をそれにふさわしく維持し、自らの名の面目を保つ義務がある"ということです」

 大野さんによると、英語では「nobility obliges」と表現し、社会的、経済的に卓越した者に要求される、"高貴あるいは高位のひとびとは、たとえば、富者の慈善のように、他者に対して気高くかつ寛大に振る舞わなければならない"という義務、"高貴な家柄は(子孫に)高潔な行動をとるべく強制する。特権こそまさに責任を伴う"といったような社会的な圧力であるという。

もっとも厳しいモラルのひとつ

 この言葉を体現する例としては、難船等の際、救助を終えるまで船にとどまる船長の責務が典型的であると大野さんはいう。また、フォークランド戦争のときのようにイギリスの王子が戦地に赴くといった行動もノブレス・オブリージュの発露の一形態としてわかりやすいだろう。

 高い地位には命を失うような多大な自己犠牲を伴うため、大野さんは「数あるモラルの中でも、もっとも厳しいもののひとつ」と指摘する。ノブレスとはフランス語で貴族を意味するが、「貴族的である」ということについて大野さんは義務、責務のほかにフランスの構造人類学者であるレヴィ=ストロースの「料理の三角形」から考察したもうひとつの意味があると付け加える。

 「焼いたものは煮たものよりも貴族的です。煮炊きしたものは肉汁も活用するので節約につながりますが、焼いたものでは肉汁が落ちていってしまう。つまり落ちていく肉汁をものともせず、ものを使い尽くす(消尽)のです。そこには合理性や経済性が存在しない。何も考えずそのことだけを楽しみ、遂行するのです。これをすれば利益が得られる、出世ができるというような計画性を一切持たず、それ自体のために行動します」

 私心のない無私と自己犠牲の精神があるからこそ、社会的な地位の高い人は尊敬されるのだろう。特権の甘い果実のみを享受する姿勢は、ノブレス・オブリージュとはほど遠い。

今日的な意味を見出す

 ノブレス・オブリージュという言葉が『格言と省察』を初出とするなら、たかだか200年程度の歴史しかないという言い方も可能だ。しかし、約100年前の世界的ベストセラー、新渡戸稲造の『武士道』の中でも、この言葉は使われているのであるこの言葉は使われているのである。武士は貴族とは異なるが、新渡戸は支配階級に属する者の義務や責任について述べており、ノブレス・オブリージュと武士道を類似する概念としてみていたと思われる。

 企業や政治家、宗教家などの組織・団体のトップがノブレス・オブリージュを意識しているならば、もてる者の施しや慈善にとどまらず、その組織は不祥事や腐敗から遠ざかり、健全さを保つことができるだろう。

 ただし、この言葉を表層的に理解すると身分制の肯定やエリートの優越感をくすぐるだけに終わってしまう。支配層による規範や責任という側面にばかり注目すると、その本質的な意味を見誤る。

 日本には貴族階級が存在しない。民主主義の中ではノブレス・オブリージュの概念はなじみにくいかもしれないが、たとえ社会的な地位のない庶民でも、家族や近所のようなごく小さな集団でリーダーとしての地位と責任を負う機会がある。そういう意味では、誰もが直面せざるを得ない概念でもある。

 いみじくも、多摩大学大学院教授で社会企業家フォーラムを主催する田坂広志氏は『未来を拓く君たちへ』(PHP文庫)の中で、21世紀においては「"高貴な人間が自覚すべき義務"という意味から、"恵まれた人間が自覚すべき義務"という意味になっていくだろう」と喝破している。

 高貴さや貴族性を身分や地位でなく個人の魂の輝きと捉えるならば、組織や集団の長のみならず、ありとあらゆる人にとってこの概念は精神的な支柱となり得る。ノブレス・オブリージュは現代人の失われた精神性を回復し、人間の生き方を見つめ直すひとつのきっかけになるかもしれないのである。

Text by:藤野未央

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